まるでまとまらず、代わり映えのしない不溶雪が果てまで続いていた。
ディジアムは真っ白な大地に仰向けに寝転がり、途方も無く蒼い空を仰ぐ。
今まさに、全ての終焉が近付きつつある。
呑気な環境とは裏腹に、じりじりと追い詰められていた。
「おい、いつまで寝転がってるんだよ」
どこかから戻ったドルトに脇腹を軽く蹴飛ばされる。
見上げると、ドルトの色素の薄い髪がきらきらと光を反射している。
「ドルトはこの世界にお似合いだよね」
「んだそれ、皮肉か」
怪訝そうな顔で身体を少し反らす。
「綺麗だからさ」
「……はぁ」
呆れた、適当な事言いやがって。
ドルトはディジアムの方腕を掴んで引っ張り上げる。
「ほら、もう少しだ。しっかりしろ」
ばしんと思い切り良く背中を叩く。
「乱暴だなあ」
ディジアムはふらふらと立ち上がりながら、わざとらしい深いため息を吐く。
一歩一歩、近付いてしまっている。

ドルトに会ってから、ずっと不安定だった。
冴え渡った思考はどんどん鈍って、杭で地面に打ち付けられているみたいだった。
それが日に日に悪化していき、圧迫感で満たされた。
夜は寝付けず、冷や汗が止まらない。
(こんなはずじゃなかった)
寝室から這い出て数時間、ディジアムは洗面所でうずくまっていた。気持ち悪い。
(こんな風になるなんて、予想外だった)
足場が崩れ落ちるような圧倒的恐怖。
底からぐっと込み上げる吐き気に立ち上がろうとするが、ふらついて何かにぶつかりそのままずるずると入口の壁にもたれる。
(ドルトのなにが、ここまで)
全て遥か遠くの出来事のようで、煩雑な思考に何も追い付かない。
重力がいつもの倍くらいに感じられる。
(嫌だ、戻りたくない)
目を瞑って呼吸を整えようとするが、どんどん調子は狂っていくようだ。
(苦しみから逃げられない、逃げたい)
「大丈夫……か?」
気付かぬうちに入口の扉が開いており、音で目を覚ましたであろうドルトが横にぽつんと立っている。
ディジアムが見た事も無くぼろぼろと泣いていて、流石のドルトも呆気にとられたようだ。
「どうしたんだよ、お前」
「……怖い」
それだけ絞り出すと、うずくまってしまう。
(怖いって、昔も言ってたな)
問いたい気持ちはあったが、今はそれどころでは無さそうだ。
ドルトは横にゆっくりと座って、背中を擦ってやる。
「何かして欲しいことはあるか?」
「……ううん、大丈夫」
しばらくして少し落ち着いたようで、ディジアムの荒れた息遣いは少しずつ整っていった。
そして、ぽつりと話し始める。
「ドルトが探してくれてたんだって思って、嬉しかった。実際、ドルトと会ったら……、ずっと壊れていた理性が働いて、めちゃくちゃな自分が客観視できて、わ、私」
また収まってきた涙が滲んで、静かに流れ落ちる。
「ずっと昔に全部ぐちゃぐちゃに壊れて、もう何も元には戻らないのに」
さすがのドルトも胸のあたりがきつく苦しくなる。
もっと早くに気付くべきで、こんなになるまで放置すべきでは無かった。
楽観と怠慢だった。だから、
「お前をきっと元に戻す」
指で涙を拭ってやる。
「なに言ってんの……」
「夜だって、ずっと俺がいたら怖くないだろ?」
「……馬鹿げてる」
ディジアムは弱々しくドルトの手を払った。
「さて、取り敢えず寝室に戻ろう。立てるか?」
「ううん、このままここにいる」
「お前、洗面所が好きなのかよ。しかも床だぞ」
「疲れた、動きたくない、このまま寝る」
「……やれやれ」

ーーー
いつだったろうか、ディジアムは突然頭のネジが30本くらいごそっと抜け落ちたように人間性が壊れてしまった。
代わり映えも無く、終わりのない日々に気が触れてしまった。
致命的にズレた暴虐性が気分で波打ち、周囲の人間は恐ろしく肝を冷やしたものだった。
ある日の深夜、ドルトは寝付けず廊下をうろうろしていると、資料庫に人影が見えた。
ディジアムは窓際の柱にもたれ掛かって、虚ろに外を眺めていた。
一体何を考えているんだろうか。
いつもの好奇心で、資料庫の扉を開けた。
気付いたディジアムは驚きもせず、顔をドルトの方に向けて少し微笑んだ。
「珍しいね、眠れないの?子守唄でも歌ってあげよっか」
いつもらしい軽口だが、昼間とは違った雰囲気でドルトは少し緊張した。
「お前だって寝てないだろ」
「アハハ、私はよく夜更かししてるからね。慣れてる」
「よく?なんでまた」
ディジアムはそのままするりと脚を折り曲げて、地面に座った。
「夜が怖いの」
「怖い?」
そんな言葉がディジアムの口から出てくるとは思わず、ドルトは呆気にとられていた。
「だから今日はちょっと嬉しいよ」
それだけ言うと押し黙ってしまった。
「……お前さ、今は随分まともだな?」
「まともに見えるんだ」
「ああ」
「まともじゃないよ、ずっと」
ディジアムに深く語る気が無いのを察して、ドルトはさっさと話題を切り替える事にした。
もっとも、この状況がだいぶ気まずかった。
「じゃあ、子守唄を歌ってやるのは俺のほうだな。さて、この資料庫の大まかな内容は大体記憶してる、なんせずっと暇だったからな」
「うん?」
「歌に関わる資料もあるんだ」
「まさか、本気で歌うの」
ディジアムの声は呆れを装いつつも、随分弾んでいた。
ドルトは微笑んで、資料庫の奥の方から楽譜をさっと1枚引っこ抜いてきた。
「俺、歌上手いんだぜ」
自信満々にそう言い放つと、返事も待たずにすっと息を吸って歌い始めた。
まるで子守唄とは似つかないアップテンポの歌
で、ディジアムも思わず吹き出してしまった。
しかし発声も姿勢もやけに綺麗で、確かに驚くほど上手だった。
(私だけがこの歌を聞いてる)
夜の資料庫は驚くほど静かで、まるで歌うために作られた部屋のように綺麗に反響した。
(怖くない)
その安心感で更にひび割れて、またばらばらと散った。
こんな時間はきっと二度と来ないのだ。
静寂が訪れると、ディジアムは立ち上がってゆっくり拍手をした。
「歌い始めた時は本気かよって楽しい気持ちだったのにさぁ、今は通り越してしんみりしちゃった」
「褒めてんのか?それ」
ふっと目の前まで来たディジアムが、軽くドルトの両手を握った。
そのまま顔をぐっと近付け耳元で、
「優しいんだね」
時が止まったのかと思うくらい、声が鮮明にゆっくりと聞こえた。
心臓がどくどくと脈打って、身体が熱くなった。
その間にディジアムはするりとドルトの横を通り抜け、扉から出ていくところだった。
「おやすみ」
小さな声でそれだけ言い残して、扉は閉まった。
それからこの日のディジアムは、どこかに消えてしまった。
ーーー

いつの間にか2人はぐっすり眠っていたようで、ディジアムが目覚めると真隣から優しい寝息が聞こえてくる。
冴えない思考でぼんやりとしながら、愛おしさを感じて少しだけ見つめる。
覚醒してくるにつれとても惨めになって、胸に劣等感が渦巻く。
ああ、嫌になる。外の空気を吸いに行こう。

昨日もしていたみたいに、ディジアムは不溶雪の上に寝転がっていた。
なんのしがらみも無いところで、このまま溶けて無くなってしまいたかった。
しかし、そんな風に浸っている暇はほとんど無く、
「おい!お前っ、勝手に居なくなって」
息を切らしながら、ドルトが駆け寄ってくる。
いつも余裕綽々なドルトが焦っているだけで、ずいぶん滑稽だ。
「私は今ここで死んじゃったの」
「死体が喋るな」
馬鹿げた冗談を言ったつもりだったが、ドルトの声はいたって真面目だ。
少し間が空いて、ディジアムは小さく声を絞り出す。
「この苦しさとは付き合いたくない、だからもう放っておいてよ」
「嫌だ、俺だって寂しいんだよ」
目は開けられない、ドルトがどんな顔をしているかなんて到底見れたものではない。
「……本当かよ」
それから長い間、無言になった。

後→https://shioori.under.jp/000/2025/12/04/%e3%81%ac%e3%82%8b%e3%81%84%e5%bf%83%e8%87%93/


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